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Yuji Hata

秦 裕二

昭和58年6月3日 大阪府出身
智弁学園-横浜D1
甲子園 1年夏、3年春夏
183cm 73kg 右投右打

秦裕二はどんなピンチに立たされても
決して表情を崩すとはない。
スカウト陣が言う、メンタル面の強さの現れだと。
だが、そんなクールな表情とは逆にコメントは強気である。
できればプロにいきたい
トヨタ自動車に内定はしていたものの
横浜からドラフト1位指名。
春の選抜で初戦敗退という屈辱を味わった
桐光学園のある場所だ。
あのときは、大会前から屈指の好投手と言われた。
持ち味は何と言っても、思いきった内角攻め。
だが、それは裏目に出た。
7回に連続死球を与え、一気に5点を奪われ
味方が何とか援護するも、試合はそのまま桐光が逃げ切った。
制球力が自慢の右腕は6死四球に泣いた。
公式戦で押し出し死球は初めてと語る秦にとって
甲子園のマウンドは独特な世界だったのかもしれない。

夏の奈良県大会決勝では圧倒的な強さ見せて出場を決めた。
秦は42回2/3を投げ抜いたが、決して内容は良くなかった。
そのせいか、出場を決めたとき、喜びのあまり泣いた。
2年の夏は決勝で郡山相手に惜敗。終盤から投げた秦は
先輩達の涙を見た、そんなことも思い出したかもしれない。
初戦、静岡市立戦は完投。仲良しだという戎谷の本塁打などで
13−2と圧勝だった。
ランナーを出しても、焦っている様子は全くない。
春に見た秦と変わっていないのが嬉しかった。
だが、母校ベスト4以上という記録を塗り替えて優勝することが
目標の秦にとって、初戦など物語の序章にすぎない。
2回戦、その本領を発揮する。
前橋工相手に5安打完封。特別暑く感じたあの日、
華奢な秦のスタミナに驚いた。直球の伸びも良く
変化球も抜群だったらしいが、本人はどうも物足りない表情。
3回戦、古豪・松山商との対決にも秦はグランドにのぼった。
今大会目立った継投策とは対照的に、智弁のエースは
決してマウンドを自分以外に譲らない。
それがエースのプライドというもの。
初回、いきなり石丸に本塁打を浴びる。後日、この本塁打が
本当に悔しかったと話すように、惜しまれる失点となった。
すぐに同点に追い付くが、5回に味方の失策絡みで3失点、
話題になったあの三重殺もあり、追い上げることはできなかった。
秦の夏は終わる。言い訳はしない。
自分がホームランを打たれなければよかったと言うだけだった。

2000年夏に優勝した智弁和歌山とユニフォームが似ていることから
よく間違えられたらしい。
しかし、この大会で秦の名前とともに、智弁学園も全国区になったはずだ。
今度は、一番星になって、「横浜の秦」をプロ野球ファンに見せたい。

インコースを突けるのが自分の持ち味。
長い年月投げて、子どもたちのあこがれになれるような選手になりたい

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