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一世紀を超えて

北海高校野球部

十島慎也くんの帽子

地下鉄「学園前」駅。
駅から直通のところに、北海学園はある。大学院、大学に高校が2校。
北海道最多44回の甲子園出場を誇る名門・北海高校は
室内練習場と体育館を使って練習をしていた。

室内といっても、トスバッティングは交代制。
48人の部員のうち、半数以上が2階で順番を待つ。
雪のグランドでクロスカントリーをやっている選手もいた。
(勢いあまってフェンスに直撃してた・・・)
練習着の背中には背番号と名前。赤は1年生、青は2年生だ。

最後に甲子園に出たのは99年夏。
実はその年から男女共学に変わっている。
推薦入試こそあるものの、入試レベルは難化。
入るのが難しくなった。
その後からチームはしばらく低迷を続けたが
昨秋の大会は7年ぶりのベスト4進出。
エース瀬川隼郎を中心とした守りの北海が復活の兆しを見せてきた。


トスバッティングに励む選手達

 場所を体育館に移す。
それまで女子バレー部が練習をしていたが
野球部の時間になると、部員が一斉に準備を始める。
舞台の下に緑のマットを置き、ダッシュの始まり。
2階では2人のマネジャーが順位を知らせる。
最下位の選手は、手を使ってスタート地点まで戻る。

走る種類も色々だ。
指示された方向にくるっと回って走ったり
牽制モーションから、正座状態、うつぶせなどなど。
「げー」という声が聞こえたのは、後ろ向きで走る練習。
最下位覚悟で走っている選手もいたが、最後まで諦めずに走ってほしい。


赤いから一年生!

次はキャッチボール。これも普通のキャッチボールだけでなく
寝て球をあげたり、正座したあげたりと工夫されていた。
また最初はトレーニングボールという180gの重いボールを使う。
重さの違うボールが4種類あるそうで、投手にも
4種類のボールを投げさせているそうだ。
この春に就任5年目を迎える平川敦監督はとっても熱心だ。
守りの野球を掲げ、
「良いピッチャーがいて、守れて、それが一番」と言う。
また道内の私立校では珍しく、遠征にはほとんど行かない。
冬場ずっとこのような練習をしていて、いきなり実戦に行っても
成果は出ないという。
でも監督、選手は行ってみたいようですよ?
また大学野球の練習にも興味を持っており、研究熱心だ。


間隔を空けないと危険です・・・声をかけあって!

交代で壁当てとバドミントンバッティング。
壁当てのボールはセーフティーボールを使う。
このボールは重さと大きさは同じだが表面がやわらかい。
恐らくこのボールを使うのは北海道や北信越、東北くらいだろう。
実際に触ってみたが、かなりやわらかいです。
バドミントンの羽を打つ練習はわりとどこでも取り入れられているので
おなじみだろう。2人の投げる羽どちらかを芯で捕らえて打つ。
もう体育館の半分は羽でいっぱいです。


右は羽を投げる光景。大きな袋に大量の羽が入っています。     左は壁当ての様子。

なかなか微笑ましかったのは綱上り。
一番上まで行ってタッチ。上まで行かない子もいますが
下から部員のゲキが・・・「頑張れよ!あと少しだ!」
結構ハードで、上り終わると壁にもたれてぐったり。
凄い早く上ってしまう選手もいれば
お互いの顔を見合い、笑って力の入らない選手も。
この日はいつもより本数が少なかったようで
監督さんから本数を言われると「よっしゃ」という声があがってました。

最後は冬に週1回やっているというエアロビ。
しっかりと先生もいます。
一見楽しそうに見えるが、1時間もやるとかなりハードです。
「普通の練習より楽しいけど、好きな人は少ないと思う(笑)」と
話してくれたのは3年生のマネジャー宮本くん。
ケガで選手を断念し、今は監督の片腕として走り回る裏方に徹している。
進学校とだけあって勉強も大変だそうです。
踊りにお笑いが入っている選手もいました・・・
背番号35のOGUROくんと37のAKAIくん!
隣同士で並んでいたから余計に目立ったけど、見ていて楽しかったです(笑)

練習が終わったのは9時過ぎ。だいたいいつもこの時間になるという。
たまたまこの日の帰り、地下鉄が事故で止まっていた。
札幌市の部員がほとんどだが
「バスが無くなっちゃう!」と焦っていた選手もいた。
チームは「打倒・駒大苫小牧」を掲げている。
「あんなに打たれた瀬川は初めてだった。あまりに大敗して負けた気がしなかった」。
昨秋の全道大会準決勝で0−10と力の差を見せつけられた。
その差を埋めるべく、今チームは熱い。
平川監督は「強弱の差は選手のモチベーションの高さ」だと言う。
選手達の目標がはっきりしているだけに
あとはグランドの雪解けを待つのみだ。

 

あまたの外来文化が押し寄せた明治の世
ベースボールは野球と名づけられた

進取さかんな北海健児は
拓けたばかりの広大な地で
草を刈り 石ころをのけ
四角く ラインを引いて立った
打球音は彼らを躍動させた
疾風のごとく駆ける影
天をつんざく声・・・・・
北海グランドは
撓まぬ球児の踏みしめる大地となった

汗と涙と血のまじる その大地に
ある日 ひとりの男が立った
かつて この地で育まれ 舞い戻った男
その名を飛澤榮三という
飛澤に叱咤され また励まされ
涙にくれ 笑顔でこたえた
若者たちは数千人
硬式のみならず
飛澤の“インパクト”は軟式にも及んだ
この飛澤精神は
その亡き後も指導者たちに受け継がれ
また幾多の北の英雄が大地を飛び立った

過ぎた日の辛苦を糧に
大輪の花を咲かせた者がいる
悔しさを泣き笑いでおさめた者もいる
語りたい 伝えたい
あの日々は
次の世紀へとつづいている

早川 平(元北海高校教論)   北海高校野球部100周年記念誌より

飛澤榮三氏は監督・部長として春夏合わせて26回の甲子園出場を果たした名指導者です


制服の集合写真なんて珍しい!練習後なのにテンション高かったです

 

*Special Thanks  北明邦雄教頭先生、平川敦監督、林和明部長、野球部の皆さん、宮本マネジャー
             この場をお借りして、本当にどうもありがとうございました!

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