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■三校定期戦概要■

@若山杯と一ノ瀬杯
(富士高と富士宮北高の定期戦:昭和38年開催)

 昭和36年、富士高野球部OBの一ノ瀬行雄さんが岩山義一さん(富士高体育後援会長・岩山石油社長)とともに「富士・富士宮地区から甲子園出場校を」という願いから始まった定期戦である。2人は両校が切磋琢磨することが大事であると周囲を説き、一ノ瀬さんの実兄・敏雄さん(北高PTA会長)も加わりそのご尽力の末、両校レベルアップのために定期戦実施という運びになった。OB戦の勝者には一ノ瀬杯が、現役戦の勝者には岩山杯が授与された。
 その甲斐もあり、富士宮北高は昭和41年と55年に春の選抜大会に、富士高は54年の選手権大会、62年春の選抜大会に出場を果たしている。

A渡辺杯
(富士高と富士宮西高の定期戦:昭和61年開催)

 当時県議会議員だった渡辺紀さん(前富士宮市長)たちの働きで、鷹岡、芝川、富士宮の3ヶ所にあった新設高校予定地から富士宮が選ばれ、昭和56年に富士宮西高が創設された。開校以来、野球強化に努めていた西高は、二期生が東海大会で優勝するまでになっていた。昭和60年、渡辺さんのご子息・新さんが富士高野球部で活躍をしており、その縁もあり両校の定期戦開催を模索するようになった。その結果、昭和61年からの開催が実現し、勝者には渡辺杯が授与されている。
 昭和62年春の選抜大会には両校がともに甲子園出場を果たしている。

B山下杯
(富士宮北高と富士宮西高の定期戦:昭和63年開催)

 高校野球審判部長や静岡県理事長を勤められていた山下虎雄さんのご子息・善理さんと勝理さんが富士宮北高のOBであり、善理さんのご子息・尚志さんが富士宮西高入学を機に両校で定期戦開催の話が持ち上がった。関係者での話し合いの結果、昭和63年より定期戦が始まり、その勝者には山下杯が授与されている。

C三校定期戦
(平成14年開催)

 それまで独自に開催されていた各定期戦を一元化し、より大きな大会へ発展しようとする機運が高まり、平成14年から三校定期戦に移行した。会場も富士球場とし、応援団への参加要請など各定期戦の伝統を守りつつ、富士・富士宮地区の更なる野球発展の願いを込め、現在に至っている。

第1回 富士5−4富士宮北 富士3−5富士宮西 富士宮北1−10富士宮西
第2回 富士4−0富士宮北 富士0−4富士宮西 富士宮北2−8富士宮西
第3回 富士4−6富士宮北 富士4−5富士宮西 富士宮北3−3富士宮西
第4回 富士10−6富士宮北 富士6−4富士宮西 富士宮北6−0富士宮西

参考資料:定期戦パンフレット

 

 

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