トップインタビュー>吉崎伸雄(創価大)

 全日本大学野球選手権、準々決勝・創価大vs八戸大は
前日の降雨ノーゲームにつづき
この日も試合は同点のまま延長戦に突入した。
創価大は、これまで13安打だったが、9番レフトで出場している吉崎伸雄は
八戸大先発の青山浩二の前に無安打。
しかも前の打席、同点でむかえた8回二死3塁で
見逃し三振し、逆転のチャンスをつぶしていた。
またあのときと同じだ――
吉崎の脳裏に苦い思い出がよぎった。

         ■

それはさかのぼること4年前、東東京予選決勝、同じ神宮球場でのこと。
この年、岩倉高校は97年の甲子園出場以来の決勝進出を果たしていた。
相手は都立城東。
3点を追う9回、チームは安打を重ね1点差につめより
なおも一死1、2塁、完全に岩倉の勢いが相手を圧倒していたという。
このときのセカンドランナーが、当時2年生の吉崎だった。
しかし、ここで悲劇は起きた。
リードをとっているとアンツーカーに足をとられ転倒、牽制タッチアウト。
これで岩倉の勢いは止まり、甲子園出場は消えた。
僕のせいで負けたんですよ。3年になってリベンジしたかったのに
3回戦でコールド負け。だからどうしても(大学で)神宮までいって
かりを返したかった


2001.8.1朝日新聞・東京版より

          ■

前と同じ失敗は繰り返せない
再び訪れた逆転のチャンス、延長10回、二死1、3塁。
さっき(見逃し三振)みたいな失敗は許されない。
ストライクゾーンにきたら3つ全部振ろうと思った

初球ボールを見逃すが、2球目は見逃し三振したときと同じ142キロのストレートをファール。
そして3球目。スライダーだった。
抜けろ!
当たりはピッチャーのグラブをかすめセンター前へ。
吉崎は右手をあげてベースをぐるっと一周、三塁ベース付近で仲間に迎えられた。
1回戦がドームで、どうしても神宮でやりたかった。
人生初のサヨナラ打!最高です!

泣いて帰った日から4年、吉崎は
神宮のいやな思い出を完全に払拭したような笑顔でバスに乗り込んだ。


赤いリストバンドをつけた右手を高々と上げる(左から二人目)

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翌日は青山学院大の前に敗れた。
エースの高市俊とは2年夏の準々決勝で死闘を演じている。
このとき、チームは勝ったが吉崎は高市に抑え込まれていた。
絶対打ちます
第2打席で高市からライト前ヒットを放つと、すかさず盗塁も決めた。
傍から見ても“打ってやる”という気持ちが伝わってくるような対決だった。
試合後、感想を聞こうと外に出たが聞くことはできなかった。
負けたにも関わらず、出入り口からバスまでの間は
まるで優勝したかのような人だかりで、多くのファンが選手を囲んでいたからだった。

          ■
吉崎伸雄
(岩倉→創価大3年・外野手)
175センチ、65キロ、右投右打。
パワーがないから下げていったら
しゃがんだような体を沈めるフォームになったという。

自称「
ラッキーボーイ的存在
選手権全ての試合で9番レフトでスタメン出場しているが
リーグ戦でスタメンだったのは今季最終戦だけ。
本来外野を守る梅田浩が捕手・近藤年洋のケガのためかわりに入り
空いた外野に吉崎が起用された。
1打席目でバントを決めると、2、3打席目はともにタイムリー。
関東学院大戦では外されたボールに食らいついてスクイズを決めている。
こんな吉崎を岸監督は「
なんでもできる器用な子」と話す。

負けてしまったけど、青学戦で話しを聞いておきたかった(><、)

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